ちはやぶる きみがみもとへ やすらかに あまねきいのち かへりゆかむ 静かな歌声が風に流れていく。 は口ずさみながら、窓の向こうに広がる夕焼けを、ぼんやりと眺めていた。 思い出してみれば、こんなにも喉に馴染んだ歌だったのに。 どうして今まで忘れていたんだろう。 ゴルドバが以前言っていた、「封じた記憶」に何か関係があるのだろうか。 (……たぶん、他にもわたしは知っている) まだまだ思い出せない歌がある。 そんな気がした。 喉まで出掛かっているのに、出てこない。 もどかしい。 ゴルドバは、自分をパッチ村へ連れて行こうとしていた。 と、いうことは――― (パッチ村へ行けば、思い出せるのかな…) 思い出したい。 思い出したい。 カミサマを遠くに感じるのは――とても寂しいから。 出来ることなら、すべての記憶を。 星の乙女のことも。 自分が本当は何者なのかも。 知りたかった。 ならばその為に… わたしは、何をすべきだろう? □■□ シャーマンファイト二次予選。 その概要が、オラクルベルに通達された。 舞台は―――アメリカ。 そこで三ヶ月以内に、どこかにあるであろうパッチ村を捜さなければいけないらしい。 期限内に見つけられなかった場合は、失格。 「………」 蓮はため息をついた。 アメリカへの交通手段は、別に気にしなくて良い。 道家の方で飛行機を用意すればいいから。 恐らく――いや確実に、葉やホロホロ、竜も共に行動することになるだろう。 (あいつら厚かましいからな) ――いや。そういうことではないのだ。 オラクルベルの通達を受けてから、ずっと気にかけていたこと。 (……………、を。どうすべきか) パッチから、何があっても守れ、と言われた。 無論言われなくてもそうするつもりだ。 だが―― ということは、彼女も。 アメリカへ連れて行く? 二次予選は、一次とは段違いの厳しさになるであろうことは、容易に想像がつく。 一次予選を勝ち抜いてきた武者達。 戦い方も今までとは全く異なるかもしれない。 それに、舞台はアメリカなのだ。 恐らくは長期の旅になることを、覚悟しなければならない。 精神的にも肉体的にも。 これまで以上の忍耐強さが要求される。 その中へ、彼女を? (……だが) だからと言って、置いていくのか? 無理だ。 一次予選の時や、道城の時は、それほどの時間を費やさなかったから良かったけれど。 何せ今回は、期限が三ヶ月となっている。 それぐらいはかかるということだ。 そして、恐らくそのままパッチ村でシャーマンファイトを続行するのだろう。 そんなにも長い間、あいつを一人にしておくのか? 出来るわけがない。 それは――守るとは、いえない。 放任もいいところだ。 それに、パッチはを、シャーマンファイトに必要不可欠な存在だと言っていた。 ならば連れて行ったほうがいいのだろうか。 どうすべきなのだろう。 どうしたら良いのだろう。 ぐるぐると取り留めのない思考が頭を巡る。 まるで性質の悪い迷路のようだ。 出口が全く見つからない。 「―――蓮?」 ハッと蓮は我に返った。 向かいのソファで、心配そうにが見つめている。 「どうしたの…? 具合、悪いの?」 「いや…」 何でもない、とかぶりを振る。 幸いアメリカへ発つまで若干の猶予はある。 その間に彼女をどうするか――決めなければ。 「ねえ、蓮」 が、茶の入ったカップを揺らしながら言った。 「もうすぐ……シャーマンファイト、二次予選、だね」 「あ、ああ」 心の動揺を悟らせぬよう、慎重に相槌を打つ。 「――場所。アメリカなんだってね」 「!? 貴様、どうしてそれを」 「ホロホロが教えてくれた」 あの馬鹿、と蓮は毒づいた。 余計なことを…! そんな蓮の心を知ってか知らずか、は続けた。 「――わたしも……一緒に行っちゃ…だめ、かな」 「な」 はかちゃん、とカップをテーブルに置くと、真っ直ぐに蓮を見つめた。 揺らぐことのない強い意志。 そして、はっきりと。 告げる。 「今度はわたしも行く」 「だ、だが…」 「わかってる。わたしみたいな何の力もない人間が、行っても危ないだけだってこと。 でも……わたし、知りたいのっ。わたしが何者なのか。星の乙女のことも…カミサマのことも」 カミサマがどうして離れていってしまったのかすらも、忘れていた自分。 この間はあの不思議な少年のおかげで、何とか思い出すことが出来たけれど。 きっとまだまだなくしたままの記憶があるのだ。 それは多分……パッチ村に行けば、すべて思い出すのではないだろうか。 そしてパッチ村には、カミサマがいる。 知りたかった。 自分のことを。 もうカミサマを遠くに感じるのは、嫌だった。 それに―― 「だが……パッチの元へ行くのを、お前はあんなにも怯えていたではないか!」 「うん。あの時は…何だかすごく怖くて。記憶を取り戻すのが…とても怖かった」 「ならば何故」 「今でも怖い。自分が何者なのか全くわからないのは、ほんとうに――真っ暗。 でも、でもね。それ以上にわたしは―――そんなにも長い間、蓮と離れている方が、ずっとずっと怖い」 「……」 蓮が息を呑んだ。 思わず口を開きかけて……慌てて閉じる。 駄目だ… 道城での戦いを思い出す。 を、あんな、あんな――― 「―――少し、いいかい?」 「!?」 「え…」 唐突に出現した気配に、も蓮も凍りついた。 そこには―― 「シルバさん!」 パッチの衣装を身にまとい佇むシルバの姿があった。 「貴様、一体どこから――」 「それは今問題にすべきところじゃない。私は、君に伝達があって来たんだ」 「……何だ。二次予選のことなら、既に届いている」 警戒心をむき出しにする蓮に、「そうじゃないんだ」とシルバは首を振った。 「ゴルドバ様から――に関してのことだ」 「!」 蓮の目が見開かれる。 も驚いてシルバを見つめる。 二人の顔を見回すと――シルバは厳かに告げた。 「此度のシャーマンファイト二次予選において、必ず星の乙女を同行させよ」 「な…」 それはたった今、と話していた事柄で。 余りのタイミングの良さに蓮は絶句する。 ――いや、それよりも。 「お、おい貴様! それはどういうことだ! 命に代えても守れと言ったのは貴様らだろう! アメリカへ連れて行けば、こいつは―――」 「だがそれ以上に、シャーマンファイトに彼女の存在は不可欠だ。君もわかっているだろう。 星の乙女の存在を既に知っているシャーマン達もいる。彼女は貴重な存在だからね。良からぬことを考える輩も出て来るだろう。 君がアメリカへ行っている間、そいつ等に襲われたらひとたまりもないぞ」 「…っ…」 「二次予選中は、我々パッチも常に君たちを見守っている。もしが危険な状況に陥ったら、その時は我々が何とかしよう」 蓮は言葉に詰まったまま、何も言わない。 ただシルバを睨みつけて。 そこへシルバが、最後のとどめとばかりに突きつける。 「もし彼女を同行させないと言うのならば―――放置と見なし、すぐさま我々が彼女を連れて行く」 蓮はギリ、と歯噛みした。 それでは―― 他に選択肢などないではないか。 これは一種の脅迫。 何も言い返せない自分に、非常に腹が立った。 わなわなと拳が震える。 そんな蓮を見て――― シルバは ふっと静かに微笑った。 「何をそんなに考える。君の中でも―――とうに答えは出ているじゃないか」 君はもうどうしたら良いのか知っている。 だって――自分の意志を既に持っている。 別にここでオレが言わなくたって、君はもう、どうすべきか決めていただろう? そうシルバが言う。 蓮は――― 「〜〜ッ…」 酷く不機嫌そうな顔で、髪をかき上げた。 だけどその顔には、先ほどの悔しそうな感情はなく。 そう、敢えて言うなら。 「…どうしたの、蓮」 顔が真っ赤だよ? 事の成り行きについていけないが、驚いたように問う。 そんな彼女を、小さな声で「黙れ」とかわした。 (ああ――――そうだ) 自分は、わかっていた。 どうしたいのか。 どうすべきか。 そして… 当の彼女ですら、明確に意思を示していたではないか。 自分がどうしようと悩むまでもなく。 彼女は既に、心に決めていた。 何も悩むことなど、なかった筈なのに――― それに気付けなかった自分が、凄く恥ずかしくて。 ましてやシルバなどに指摘されるなんて。 くそ。 阿呆か、俺は。 「―――おい」 一度大きく息をついて。 次の瞬間には、静かで、それでいて射抜くような双眸をシルバに向けた。 そうだ。 躊躇うことなど、なかったのだ。 「その族長とやらに伝えておけ。……助けは要らぬと」 にやりと不敵に笑う。 一瞬たじろいだシルバだったが、 「…ああ」 ひとつ頷くと、開放してある窓からオーバーソウルで飛び立っていった。 「……蓮…いいの?」 「いいも何も。お前が望んだことだろうが」 「う、うん……それはそうなんだけど…」 何だか、信じられなくて。 そう戸惑うように言うは―――それでも嬉しそうだった。 その姿に、一層の決意を固める。 (シャーマンファイト二次予選まであと少し) 勝ち抜いてやる。と共に。 □■□ 見渡すほどの青空を、離陸した飛行機が飛んでいく。 とうとうアメリカへ出発する日がやってきた。 飛行場の滑走路脇に佇む蓮と。 もうすぐ集合時間になる。 共にアメリカへ発つメンバーは葉、ホロホロ、竜。 「…わー」 初めて見る飛行機に、先ほどからがおっかなびっくり周りを見回していた。 次々に離陸していく飛行機を、興味津々な目で追う。 子供か貴様は、とも思ったが。 (…まったく) あれだけ真剣な目で、アメリカ行きを懇願してきたかと思えば―― …仕方のない奴だ。 「あ、蓮。あっちの方見てきても良いかな…?」 「別に構わんが…迷子になるなよ。あと時間は守れ」 「うん、大丈夫」 了解を得ると、益々子供のような顔で他の飛行機のところへ駆けて行く。 それを嘆息しながら眺めていると――― 「よぉー蓮!」 葉たちが到着した。 「わぁ」 何処を見ても飛行機ばかり。 真っ白なものもあれば、絵が描かれた機体もある。 どうやって絵を描くんだろう。あんな大きな物なのに。 また一つの飛行機が離陸した。 「わ…」 髪を押さえながら、は空を見上げた。 すごい。すごい。 あんなに巨大な機体を、どうやって宙に浮かせるんだろう。 落ちないのだろうか。 中は、揺れないのだろうか。 あとからあとから疑問は溢れてきて、興味は尽きない。 ――――どおぉぉんッ! 「…え?」 突然、背後の方からもの凄い音が聞こえてきた。 慌てて振り向くと―――蓮? 恐らくオーバーソウルであろう巨大な金色の光と… 「――! あれは…」 は慌てて駆け出した。 「突然現れて、何のつもりだ!」 葉が睨みつけると、その少年は言った。 「この前は善と良が世話になったね」 言うや否や、少年の傍らに佇む巨大な赤い影が葉を襲う。 先ほどホロホロや竜、果ては蓮までもを吹き飛ばした精霊。 阿弥陀丸とオーバーソウルした葉は、寸でのところでかわした。 そして反撃するが、あえなく打ち返されてしまう。 尻餅をつく葉。 「―――葉!」 「!?」 そこへ、が駆けつけた。 慌てて葉が下がっているように言おうとしたが―― 「やあ。しばらくだね」 少年の言葉に、動きを止める。 葉は信じられないような面持ちで――未来王ハオを、凝視した。 「…どういうことだ」 蓮も立ち上がり、馬孫刀を構えなおす。 「。こいつと…知り合いなのか?」 「…え、と」 蓮が中国から戻ってくる日の朝。 は一人の少年に出逢った。 思い出した歌。取り戻したカミサマの感触。 名前を聞きそびれてしまった少年。 その彼が――― どうして………みんなを攻撃しているんだろう? ハオがひょいと肩を竦める。 「知り合いさ。ほんの千年前から、ね」 「何…!?」 まるで明日の天気でも言うように、あっさりとハオは言った。 勿論には何の話か全くわからない。 千年前…? 途方もなさすぎて冗談のようだ。 でも―― ハオがくすりと笑う。 「ねぇ――――」 瞬間。 意識が飲み込まれる。 見たこともない映像が、頭の中に溢れてきた。 それはまるで走馬灯のように 濁流のように これは、何―――? 痛い。 頭が割れそうになる… 呑み込まれてしまう――――! 「―――ッ…」 猛烈な吐き気に襲われ、たまらずはその場に膝をついた。 胃がせり上がる。 喉に熱い何かが込み上げてきて 「かはっ…」 ごぼ、と。 目の前の地面が、赤く染まった。 点々と血痕が飛び散る。 「!?」 その場に緊張が走る。 蓮が慌ててに駆け寄った。 「おい、! どうしたんだ!」 荒い息をつくその背中をさする。 苦しそうに喘ぎながら、が顔を上げた。 口端からつ――と血が流れる。 その目には、明らかな戸惑い。 これは、何。 この血は、どうして。 頭の中で鋭い声が響く。 その名を呼ぶな! (――!) これは誰だ。 女の声。 知らない。 こんな声、知らない。 「…ああ、大丈夫だよ。少し拒絶反応が出ただけだから」 ハオがくすくすと笑いながら言った。 その顔は、どこか―――嬉しそうで。 蓮が怒鳴った。 「どういうことだ! 貴様、に何をした!」 「何もしていない。言ったろ、拒絶反応だって。ただ…そうだな。敢えて言うなら―――彼女は反応したんだ。僕の呪に」 「しゅ、…?」 も焦点の定まらない目でハオを見つめる。 呼吸をする度にひゅう、と喉が鳴った。 ハオが「そう。呪さ」と頷く。 「でも嬉しいなあ。それに反応するってことは―――まだ覚えていてくれてるってことだね。君の、魂が」 「たましい…?」 嗚呼、彼は一体何を言っているのだろう。 頭の芯がぼうっと痺れている。思考がまとまらない。 視界がぼやける。 だがそれ以上、彼は何も言わなかった。 「ハオさま、はやくゆこう。このくにはさむいよ」 かさりと草を踏む音がして、ハオの仲間が到着した。 ずらりと並んだシャーマン達。 そしてハオは彼等と共に、己の持ち霊・スピリットオブファイアに乗って飛び去っていく。 「楽しみに待ってるぞ、葉。――――。僕のこと、覚えておいてね」 その一言を残して。 しばらくしての発作も治まり、葉たちの乗った飛行機も飛び立った。 何ともいえない、微妙な空気を孕んで。 誰一人として口を聞かない。 先刻のハオの出現の――余りにも衝撃が大きすぎて。 そんな中、はぐったりと座席にもたれていた。 隣には蓮が寄り添う。 「…大丈夫か?」 「…、ん…」 額の汗を拭われながら、微かに笑みを浮かべて頷く。 だけど、蓮の顔は曇ったままだ。 悔しそうに眉間にしわを刻む。 (…でも、大分楽になった) 大きく息をつく。 ―――さっきのは、一体何だったんだろう。 突然の発作。 記憶の奔流。 そして……誰かの悲鳴のような叫び。 聞いているだけで胸が痛くなるような、悲しい声。 それは余りにも鮮明に、まだ耳に残っている。 (その名を呼ばないで、か…) それは――あのハオの言っていた名前のことだろうか。やっぱり。 『』 はっきりと思い出せる。 明らかにわたしの名前ではない。 なのに、ハオが見ていたのは――紛れもない、わたし。 それに… 今その名前を思い出しても、全く身体に変化はないのだ。 ハオが口にしたその時だけ発作が起きた。 何故だろう。 ―――わからないことが多すぎる… 「少し――寝た方がいい」 蓮が低い声で言う。 数時間前までは、あんなにも飛行機の中から外を見るのが楽しみだったけど。 「…うん…」 小さく頷いて、は静かに瞼を下ろした。 今は休みたい。無性にそう思って。 しばらくして寝息が聞こえ始める。 それ以外は沈黙に支配されたまま――― 一行はアメリカへと向かった。 |